2月25日(月曜)2013年:
イエスは言われました:「私の民よ、福音書には二つのポイントがある。一つは他人を判断しないことで、もう一つは人に対して許す心を持つことだ。私はあなたがたの隣人のことを唯一判断できる者であり、なぜなら私が全てのことについて知っているからである。あなたは誰かの行動に基づいて意見を持ちうるかもしれないが、隣人について判断したり噂話したりするな。許しについては、あなた自身が他人に対してどのようにしてほしいのかそのように相手にも許すことができるはずだ。黄金律の「自分に対してもらいたいことを他人にせよ」を実践することは、私が言った同じ尺度で行動を測るルールについても言える。判断せず公平に接し合うことで、隣人と調和して暮らすことができる。」
イエスは言われました:「私の民よ、聖杯の伝説を多く聞いているだろう。それは治癒の力があると言われているものだ。これは私が最後の晩餐で最初のミサにおいてワインを私の血として捧げたカップである。このミサはユダヤ人のパスオーバーと呼ばれるセダー・スーパーの中で行われた。毎回のミサでは、司祭が聖体礼儀によってワインを私の貴重な血へと変える。この最初のミサは私が金曜日の善き金曜日に死ぬ前に起こったものであり、あなたはこれを聖週の中の聖木曜日に思い出すだろう。また私は信者たちに四旬節中毎週金曜日に十字架の道を祈ることを望む。この「聖杯」は遺物であるがその所在については確実ではない。重要なメッセージは、私の体と血が全人類の罪のために贖いとして捧げられたということだ。これは信仰によって受け入れられるすべての人に対する救済から罪の縛りを解く賜物である。私は告白で司祭を通じてあなたたちのところへ来ることができるし、私の血はあなたたちの魂から罪を洗い流してくれる。私は完全な贖罪の羊であり、天父にとってすべての者のために唯一価値ある犠牲である。」