2011年7月11日(月曜):(聖ベネディクトの日)
イエスは言われました:「私の民よ、修道院に行って僧侶たちが歌い、祈り、仕事をする様子を見たな。 ある修道院にはリトリートがあるし、パンを売るベーカリーもある。 世俗的な人々にとっては修道生活は難しいかもしれないが、祈りと善行への献身は魂のためによい。 世界の中で暮らす人たちでも、私の祈りの中に時間を見つけるべきだ。 私におまえの日を少し分けてくれることで、私との間の愛の関係を維持できるからな。 おまえの毎日のミサや祈りと礼拝は多くの人よりも多いかもしれないが、私の前では美しいものだ。 おまえたちが忠実に私についている様子を見るのは嬉しい。 おまえたちは礼拝の時間にも、五分か十分の静かな黙想的な祈りをして、私がおまえの魂と話すのを聞くようにしろ。 日々世界の騒音の中で暮らしているとなにかに集中するのは難しいが、私の使命を実行するための判断力を養うことだ。 おまえたちは常に祈りの願い事で私におねだりしてるが、時には静かになって私がおまえの心と話せるようにしろ。 私にもおまえたちの人生の主として許してもらいたいから、私の中心を保ちながら集中できるよう頼む。 私はおまえたちに日々の十字架を運ぶ手伝いをするが、本当にその負担は軽くなり、おまえたちは魂の中で私の平和を見つけるだろう。」
イエスは言われました:「私の民よ、多くの人が天国にどうやって行けばいいのか、そして天国がどこにあるかを知りたいと思っている。 私の使徒たちは雲の中へ昇る私を見た。 モーセも誰にも見られずに天国へ引き上げられた。 エリヤは火の戦車で天国へ引き上げられた。(列王記下2:11-12) これがなぜモーセとエリヤが私の変容において私と一緒に登場したのかだ。 ヤコブの梯子(創世記28:10-19)も聖書で示された神秘的な方法だった。 一歩ずつ善行を積むことで、天国へ昇る夢を見せたんだ。 よい人生を送ろうとする一歩ごとに進んでいくことで、私の民はそれぞれの精神的な梯子を登り、私におまえたちの審判のために迎える準備ができるだろう。」
警告について:イエスは言われました:「私の子よ、あなたが求めたように、警告の後に人々が改心を許される期間については確認してほしい。 私は以前のメッセージで、警告後の短い間に私が忠実な者たちが離れてしまったキリスト教徒を聖体へと戻す手助けをすることを伝えてきた。 この時間は非常に長くはないだろう、なぜなら警告は反キリストの宣言に至る主要な出来事の直前に起こると予想されているからだ。 これは人々が信仰を学ぶか再改心するためには十分ではないほど短い期間でもない。 私があなたに伝えた六週間という時間は、魂たちの福音宣教を行うのに適切な長さである。 警告を見た後であれば、家族を同じ避難所へ連れて来ることができるだろう。 魂たちが改心する機会を得たら、反キリストの宣言と迫害の始まりに至る出来事を見ることになる。」