アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスターにおけるジョン・レアリーへのメッセージ

2010年3月30日火曜日

2010年3月30日(火)

イエスは言われました:「私の民よ、多くの人が聖ペトロとユダの二つの裏切りについて話しています。あなた方は、聖書に記された結果を知っておりますが、聖ペトロは後悔し、罪人たちのように私にお祈りで償いを求めました。しかし、ユダは後悔せず、絶望のあまり出て行き自殺しました。彼らはそれぞれ裏切りに対して異なる態度を見せています。聖ペトロの場合、彼の裏切りは計画的ではありませんでしたし、彼は命を恐れて私を知らないと否定したのです。それは、彼が私のために死ぬと言っていた後のことでもあります。ユダの

裏切りはもっと深刻でしたが、彼はユダヤ人の指導者たちと共謀し、三十枚の銀貨を受け取ることまで計画しました。私はサタンにユダの心へ入り込むことを許したため、彼が償いを求めないようにしました。代わりに悪魔は絶望で誘惑し、自殺するよう促しました。その方法でユダには償う機会がないまま、愛なくして死ぬ道を悪魔によって導かれました。これらの裏切りの結果が異なるのは、彼らの動機と行為に対する誘惑のレベルが違ったからです。あなた方は聖別された護符や私の秘蹟を用いてサタンの攻撃から自分たちを守るようにしてください。そうすれば失敗しても強くいられます。私はあなた方に償いのための告解を与えましたが、罪を避けることを忘れないでください。行動において私を怒らせないよう心掛けてください。」

イエスは言われました:「私の民よ、この税金申告書のビジョンは、「死と税」が常に存在し、人々がそれを確信できるという文脈の中でです。すべての政府には運営のためにお金が必要なので、税金はあなた方の生活の中においていつもあります。アダムの原罪によって全ての人間は死ぬべき運命にあるのです。この身体の死についての事実はいたって現実的ですが、一部の人々は永遠に続くかのように生きているように見えます。魂は不滅であるため、永遠に存在します。もしこの地上での生活が過ぎ去るものならば、魂の永遠の行き先こそ全ての人にとって最も重要なことですべきでしょう。真のキリスト教徒は頻繁にお告解をして純粋な魂を持つべきであり、死ぬことを恐れる必要がないように私の審判に自信を持ちましょう。私は重大なる罪によってあなた方の中から離れた状態になることができますし、この場合には償いと私の恩寵の回復のためにお告解を求めなければなりません。重大な罪を避けることで魂は常に私の中で生きており、愛と恵みにおいてです。したがって、あなた方は一度死ぬことを知っていても、いつでも恩寵の中にいるようにして私の審判の準備ができているでしょう。」

出典: ➥ www.johnleary.com

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