イエスは言われました:「私の民よ、私が地上にいた時、私は聖ペテロを岩や指導者として選び、彼の上に私の教会を築き始めました。 私はあなたたちに、地獄の門が私の教会を打ち破ることはないと告げました。 年月を経て、特に宗教改革において多くの新しい宗派が形成され、私の息子であるパペーとは一致しなかったものがあります。 多くの異端や私の言葉への異なる解釈がありました。 私の教会はその教えを堅持してきました、他の信仰と統合するために手を差し伸べる者もいたにもかかわらず。 他の宗派が私から分かれているとしても、彼らの私の信仰と罪の否定によって天国へ行くことができるでしょう。 私は多くの天国での住居について語りましたが、その中で皆を招待しています。 これは来る警告において明かされるでしょう、私を通じてのみ誰もが天国に行けるという事実です。 また私のローマ・カトリック教会は私が設立した聖礼の信仰の全体性を含んでいるのです。 教会同士の統一を目指すことは良いことですが、私の法と解釈は変えられてはいけません。 人間は滅びますが、私の言葉は決して過ぎ去りません。」
祈禱グループ:
イエスは言われました:「私の民よ、私はあなたたちを準備させています。家から出て私の避難所での田舎暮らしに向かうためです。 少しテントで野営する練習をしてみると良いでしょう。簡単な暖房と食事のための手段も試して、自然の中で生活できるようになりましょう。 キャンプ場へ行けない場合でも、自宅の庭でのキャンピングでも構いません。 田舎で生きる準備ができていれば、快適なベッドや温かいシャワーがないことにも驚かれません。 隠れ家に住むことはあなたたちを進歩する聖人へと変える手助けになります。」
イエスは言われました:「私の民よ、あなたは葬儀には行ったことがあるでしょうが、自分の葬儀の時を想像するのは難しいものです。 この瞬間に至る前に、日々の祈りと頻繁な告解であなたの人生を整えるべきです。 この命は非常に短く、あなたは祈りと善行によって最善を尽くす必要があります。 悪魔が貴重な時間を無駄にすることを許さないようにし、過度な娯楽には耽らないでください。 全てを私のためにしていれば、私は私の仕事であなたたちを忙しくします。」
イエスは言われました:「私の民よ、私はあなたがたに告げてきた。私の民が迫害される時期があり、その中でいくたりかの者が私の名のために殉教することになるだろうと。すでにギロチンがアメリカ合衆国へ持ち込まれたと聞いたことはあるまいか。また、『黙示録』にも信徒たちが斬首されると記されている。ワシントン<uc>D.c
イエスは言われました:「私の民よ、聖人になるためには自分を世俗的な欲望から離れさせることを学ばなければならない。あなたがたが煉獄で浄化されているとき、あなたは世界的な欲望を清め、完全に私への崇拝に集中することができるようになる。このように簡素な生活を送っているこの修道士たちのように生きることは、私のもとへ近づく手助けとなるだろう。また、私の避難所へ来ることも聖人になるための一助となり、あなたがたは世俗的な所有物から剥奪され、簡素で田舎風の生活を送ることによって祈りや隣人の手伝いに時間を使うようになるだろう。」
イエスは言われました:「私の民よ、貧しい人々のために食べ物を提供することは天国での宝となる慈悲の業である。いくたりかは毎日このような料理を貧しい人に用意しているし、また誰かは必要な食材を購入したり、食品への寄付金を捻出してくれている。あなたも時折これらの仕事に手伝いをすることができるだろうし、地元の食料庫でも協力できよう。すべてこの業は貧しい人々のために良い食事を提供する愛情ある労働であることを忘れないように。飢えた者へ食べ物を与えることは私自身へ食べ物を与えていることと同じだ。」
イエスは言われました:「私の民よ、老いた親たちの世話をするのはまた別の愛情ある業である。あなたがたの両親は若い頃にあなたがたのことを見守ってくれたから、彼らが年老いている今も見守ることは彼らへの恩返しとなるだろう。時間や金銭へのコミットメントをするのは容易ではないかもしれないが、彼らは愛している家族である。誰かは親たちとより多くの時間を過ごすことがあるかもしれないが、あなたがたが彼らのために行うどんなことも感謝され、審判において良い業として評価されるだろう。」
イエスは言われました:「私の子供たちよ、キリスト教徒として良い手本となることは非常に重要です。日常の祈り、日曜日のミサ、頻繁な告解を通じて信仰で育てることで、彼らは良好な精神的習慣と主イエス・キリストへの崇拝と愛情を持つようになります。あなた方は子供たちに夫婦としての愛や親としての愛を見せましょう。さらに、子供たちはあなたが私をどれだけ愛し、自分自身を私に捧げているかを見るべきです。この愛ある環境の中で、子供たちは私も愛し、私が依存しているように私にも依存することができます。」