イエスは言われました:「私の民よ、あなたがたが私に敬意と崇拝を捧げる聖なる教会に入るとき、魂の平安と喜びを感じます。私は恩寵のオアシスであなたがたの魂のためにいます。あなたは私の実在の中で心地よくなり、私と一緒にいることを許されています。司祭たちがミサを捧げ、カトリック信仰の伝統を守ることに感謝してください。今日福音で与えられた才能について語られているように、あなたがたは人生の使命のために肉体的な才能をどのように使用するか知っています。すべてを私に捧げるとき、あなたは私の栄光の中で全ての仕事を私に献げることになりますし、私が求めたように私はあなたがたに奉仕してもらうでしょう。しかし、才能を使わない者もおり、これは福音から得られる教訓で、彼らの贈り物を無駄にしないようです。私の信徒たちよ、バプテスマと堅信によって魂を救済するための精神的な才能も与えられていることを強調したいと思います。他者と信仰を共有し、あなたがたの喜びと平安を分かち合うことで、この才能は埋められるべきでもなく無駄にされるべきではありません。信仰の贈り物を与えることはあなたがための喜びであり、他者も私の愛と魂の救済の良い知らせを共有できるようにすることです。ただ自分の信仰のためだけでなく、全ての国々に出かけて行き、私の愛と魂の救済の良い知らせを伝えなさい。そしてあなたがたが私と最終的な決算を行うとき、私はあなたがたが私にもたらしたすべての魂のために報いるでしょう。」
イエスは言われました:「私の民よ、永遠の命を得るためには狭い道や門を通って行くようにと教えてくれている聖書の多くの箇所を聞いてきました。彼らは名声、権力、そして世界的な金銭に対する愛から地獄へ向かう広い道を行っている者たちです。これらのことを神として作り上げており、偶像のように私よりも崇拝しています。私の意志と命令に従えば、これはあなたがたを天国の狭い道にお連れします。一人の男性が全世界を獲得することで得られるものとは何でしょうか?しかしその後彼の魂は失われます。結局これらすべてのことはいずれ過ぎ去りますが、あなたがたの魂は永遠に残り続け、不滅であり死ぬことはありません。しかしあなたがたの魂には審判があり、地上での全ての行動について責任を問われるでしょう。私の聖なる恩寵の中で魂を正しく保つことで、常にあなたがたはその審判のため準備されます。私があなたがたを家へ連れ帰りに来るとき、私と隣人ために行った全ての善い仕事が実際の罪や過失の罪とともに手元にあり、私の慈悲もまた魂にあるでしょうが、私の正義もまた成就されるでしょう。」