日曜日、9月4日2011年:
イエスは言われました:「私の民よ、この週末にはあなたがたの労働者の日に祝っている。視界の中で田畑で人々が働いているように見えるが、仕事はパンをテーブルに並べる手助けとなり、請求書を支払うためにもなる。アメリカの労働者たちは製造業の職が海外へ送られている中での厳しい時期を過ごしてきた。これがあなた方の国が農業生活とサービス業に戻る理由である。物質的な労働について考えると、魂の収穫もまたある。私が使徒たちを召し呼び仕えるようにしたときのように、今日のあなたたちはさらに多くの司祭や伝道者が必要とされている。それでもなお適切な応答は人々を改心させるためにより多くの労働者を求めることである。(マタイ9:37, 38)「収穫はいかにも豊かだが、労働者は少ない。故に主なる収穫の神に祈り、その収穫へと労働者たちを送り出させるように。」常に司祭職への召命が必要であるため、私の民たちはこの意図のために祈らなければならない。あなた方の司祭はまた金銭的にも祈りとともにお互いの支援も必要としている。伝道者や預言者たちも人々を改心させる手助けとなる。奇跡的な癒しすら魂を私に連れてくることがある。仕事を見つける幸運と、また魂を救うための労働において喜びなさい。」
イエスは言われました:「私の民よ、子供や孫がいる親たちに対して、私はあなた方をこの世へ子供たちを生み出す共同創造者として招待したことに感謝しなさい。あなたは彼らを物質的にこの世界へと連れてきたのだが、私はいずれもあなた方の子供たちの中における生命の魂を置いた。各々が誕生するたびに私の創造の奇跡を見ることで驚嘆しているだろう。またそれぞれが独自の特別な才能と使命特有のものであることに対して、どれほど素晴らしいかも感じているはずだ。あなた方は子供たちを愛し、彼らのために何でもすることを願っている。彼らは養われ教育される責任があるが、また魂についても責任があります。これは信仰を教えることであり、家から出た後であってもその魂を見守る必要があるということです。子供たちへの信仰の伝達は重要であるため、彼ら自身が次世代に信仰を受け継ぐようにするべきだ。また孫たちの信仰についても気をつけること。時には親たちは必ずしも子供たちに対して信仰を教える責任があるわけではない。これが祖父母が孫たちに信仰を教えられるときである。家族全体の魂を救うことは最も重要だ。故に、あなた方は生きている間だけでなく死後の子供や孫、親戚について祈りなさい。」