2011年6月10日(金):
イエスは言われました:「私の民よ、今日の福音で私はペテロに三度「私を愛しているか」と尋ね、そして彼に言った。「私の羊たちを養え。」 この三回は、彼は私が否定した三回への応答でした。ギリシャ語では、「愛する」という言葉が異なります。最初の二度私は友人として彼を愛しているか尋ねました。三度目の時には神のようにあなた方が神を愛する「アガペー的な愛」で私を愛しているかと尋ねました。聖ペテロは私が私の教会を導くために選んだから、これらの信仰告白は彼の指導力において私の羊たちを世話し、子羊たちを養うことを確保するものでした。今日の私たちはこの質問にも答えることができますので、あなた方が私に対する愛情が誠実であることを知るためです。これは私が望む友人同士の愛ではなく、心から神への個人的な愛です。それは私の意志をあなた方に委ねて生活の主となることを意味します。また、天国を獲得するために自分の罪の私への赦しを求める準備ができているということでもあります。私はあなたたちが私をこれほどまでに愛してくれれば、すべては私の愛のために行うようにしたいと願っています。」
イエスは言った:「私の民よ、私はあなたたちをどれほど愛しているか知っているだろう。そして私が人類を創造したのは、私の愛を共有するためだったのだ。あなたは皆、私の像に作られているし、私から強制されることなく自分の意志で私を愛すべき自由意識が与えられたのだ。この美しい花々は、私があなたたちと共にしている創造物の美しさの例なのだ。アダムとイブは罪に堕ち、全人類は死と再び犯される弱さという罪の結果を被った。私は地上に来て十字架での死を受け入れることで、人間をその罪から救うためだったのだ。この荊冠の棘もまた私が受けた苦しみの一つなのだ。あなたが私の命を自由に捧げて全霊魂をその罪から贖ったことを理解すれば、私はどれほど個々のあなたたちを愛しているか分かり始めるだろう。私の愛は無条件であり、私を受け入れない人でも含めて誰も彼も愛するものなのだ。私が主として受け入れられ、私の赦しを求める者たちは天国で永遠の命と共にあることができるだろう。しかし私は拒否され、罪の赦しを私から求めない者たちには地獄へ続く広い道があることを知っておくべきだ。私のすべては愛であり、私が信頼する人々とは愛の関係を持ち、平和の中で魂に与える喜びと満足を理解できるものなのだ。私に近づいている限り、あなたたちの祈りと善行のために報いられるだろう。」