2010年4月23日金曜日
2010年4月23日(金)
2010年4月23日(金):(セント・ジョージ)
イエスは言われました:「私の民よ、サウルが馬から転げ落ちて私が彼に明確に語りかけたときのように、すべての人が変心する体験を持つわけではない。この奇跡的な変心には一時的に失明した彼の治癒も含まれていた。熱心な信仰の迫害者を私の異教徒への最も偉大な伝道師の一人に変えることは、あなたたちに対して私とともにすべてが可能であるというもう一つのしるしだ。神から信仰の贈り物を受けていることを感謝するべきだ。そして、あなたはその信念を実践している。本質的には、私が変心して信じるようになった人々は皆、彼らに与えられた信仰の奇跡を受けています。私を完全に信じて罪から悔い改める者たちは、天国で私のもとでの永遠の救済が約束されています。日常的に祈りによって養われなければならないのは信仰であり、可能ならば毎日パンとしてのミサと聖体拝領を通じてです。信仰は静的ではなく、成長するためには活発であって、聖霊に導かれる必要がある。それは私への愛が深いものであるからこそ、他者とそれを共有したくなるあなた自身の伝道努力によってだ。私の人生やセント・ポールのように模倣すれば、あなたは愛ある豊かなキリスト教生活を送りたいという願望に駆られるだろう。」
イエスは言われました:「私の民よ、このビジョンの中で私はあなたに、私が聖体の力を示すときのことを見せています。あなたは私への栄光と称賛のために崇拝する際に、私の聖餐における神秘的な存在において来ることができます。私は誰も彼もが静かな瞑想の祈りの中で時間を作って私を訪ねてくると励まします。あなたは信仰によって私があなたの前に真実にいることを信じているでしょう。あなたが何をすべきか私の判断を決める必要があるとき、私の聖体の前でその点について考えなさい。そして私はあなたのために最善な道を見つけてあげます。これが私による導きであり、平和と謙虚さの生活を模倣するように励ましているからです。もし私があなたと一緒ならば、誰があなたに反対できるでしょう?私は日常業務において使命を達成するための力を与えます。朝の祈りで私を呼びかけて導いてほしいし、夕方の祈りでも一日中のことについて考えるようにしてください。その日の活動について瞑想することによって、あなたの行為にある誤りと過ちから学ぶことができます。生活において必要な修正を受け入れる用意があるならば、それは私のもとへ近づくためです。私は皆を愛しており、天国への道筋で導きたいと思っています。祈りある生涯と私の聖体によって、あなたは神聖なる生活において私や隣人を愛することができます。信仰と私の愛を共有しながら魂に伝えなさい。」
エドワード聖人の避難所について:イエスは言われました:「私の民よ、私は誰にも強制的に自分を押し付けませんので、もし誰かが祈りの中で真に避難所を持つことを望むと判断すれば、その人への「はい」によって私がそれに応えます。教会の土地はすでに聖別されています。いずれの避難所も独立した水源が必要です――井戸や池、または他の水体であれば何でもかまいません。もしそんなものがないならば、私は私の天使たちにルールド(フランス)のように水を流させます。人々のための宿泊施設があり、後日増設することができれば良いでしょう。また食料品の貯蔵もあり、これも後に増やすことができるようにしてください。私は避難所に鹿を連れてきて肉とするし、私の天使たちは人々をこの避難所へ導くでしょう。全ての避難所には私が光り輝く十字架を置いて、それを見ることで人が癒されるようにします。私が選んだ者たちが私の民を導くとき、末日において多くの治療の贈り物が彼らに与えられるでしょう。天使たちが誰も彼も助けることを信じてください。――避難所を持つことに同意する人々のために私は感謝し祝福します。」