聖母は聖なる愛の避難所として現れます。彼女は言います:「イエズスにお褒めあれ。」
「親愛な子供たち、私は『聖なる愛の避難所』という称号であなたに来ました。これは神の戒めを強調し、その抱擁は聖なる愛であることを知らせるためです。今日の世界には善と悪の区別がありません。その結果、罪の意識もありません。」
「罪はもう説教壇から明確に定義されていません。人々は自分の良心より神の法を信じるようになっています。多くの指導者たちは財産の再分配、つまり別の形態の支配に対してより強いコミットメントを見せており、道徳的堕落を克服することに対しても同じくらい熱心です。『金持ちになっても魂を失うのは何の得にもなりません。』
「したがって、聖なる愛が世界の良心に刺激を与えるとき、それは慣れ親しんだ安楽な状態から逃れたくない人々によって全方向から強烈に反対されます。罪は正当な反対を受けるべきですが、無傷で残っています。親愛な子供たち、すべての状況において神の意志を見極めるために祈りなさい。」
マタイ16:26を参照
「人が全世界を得ても、命を失えば何の益があるでしょうか?それとも人が自分の命に対して何を代償として支払うことができるでしょう?」