午前1時
聖トマス・アクィナスは言います:「イエズスに栄光あれ。」
「あなたが五日にお母様から与えられた声明について疑問を抱いていることは知っています。つまり、ペンテコステの使徒たち上空の火の舌は彼女の心臓からのスパークであり、聖なる愛の炎であるという声明です。これを理解するためには、『統一された心臓の完全な像』の神学に深く入り込む必要があります。」
「この中には多くの側面があるが、まず最初に、聖霊とマリアはイエスの受胎において結びつけられていたことを思い出してください。つまり、聖霊はお母様の受胎時に彼女を覆いました。ペンテコステでは永遠なる父は再度マリアの心臓から小さなスパークが聖霊と一つになるように許しました。」
「また、無原罪の心臓は神の聖なるそして神聖な意志であり、同じくパラクレートもそうです。したがって、この神の意志における神秘的な結合において、彼らはペンテコステでは一つでした。」
「統一された心臓の完全な像において、聖なる愛の炎と神聖な愛の炎は聖霊の光に包まれています。彼らは引き離すことができません――その結合は神秘的に完璧です。したがって、聖霊が働いている場所には必然的に聖なるそして神聖な愛も存在します。これが神の意志です。」
「このことを解決するために神学者たちが何世代かを要すると思います。したがって、今夜これを解決しようとしないでください。」
午前9時半
聖トマス・アクィナスは言います:「イエズスに栄光あれ。」
「私は再び昨夜説明したテーマについて話すために来ました。特にペンテコステにおける神の意志と統一された心臓の結合の相互作用についてです。この情報を理解できないことを気にしないでください;私が言うことを記録しておいてください。」
「父なる愛、すなわち天父の御心は神の愛――イエス・キリストの聖心と聖愛―そしてマリアの無原罪の御心と統一されています。これら全てが永遠の神の御意です。一つが行動を起こすとき、全てが行動を起こします。誰もまた神の御意以外で行動したり存在することはできません。父なる愛は聖霊の光を与えます;この光は聖愛と神の愛を含んでいます。したがって五旬節における火の舌、すなわち聖霊の光の見える形態が聖愛と神の愛を含むものでありましたから、御母様の言葉によればその火の舌は彼女の心の中から出た小さな炎でした。」
「一本の火花はただ一つの焰の一部に過ぎませんが、他の焰を点けるには十分です。確かに五旬節後、使徒たちの心の中における聖愛は大胆さの伝統のうちの一部でした。」